CN-JAPAN Information
カテゴリ
以前の記事
2014年 12月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 07月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「一年の計は元旦にあり」 一年をどう過ごすか?という計画は元旦に立てるのが良いですよ。 という、ことわざ、である。 本日、マスコミにて教科書の検定があり、教科により、内容が25%も増加したらしい。 ”ゆとり教育”の終焉である。 教科書の検定後、教科書として学生が学ぶまで2年間かかるらしいので、2013年4月の教科書から、ゆとり教育ではない内容で日本の教育が再スタートする事が決まった。 それは、それで、良い方向へ進むのであろう。 いいことです。 私の子供達はどうなんだろう? ゆとり教育を少なくとも受けています。 高学年になるにつれ、教育が”ゆとり”から、”本来的教育”に変化はしてきた。 教科書の方針も、数回変わっているのだろう。 彼らは、どうなるの? 取り返しがつかないのが教育。 素朴な疑問である。 誰も怒らないのかなあ? 「教育は百年の計」と言われる。 取り返しがつかないので、百年くらい先の国策を踏まえて、教育方針は決めましょう。 という意味だと思っている。 日本の教育を考えてきた方々は、今どういうふうに思っているのだろう。 まさに「百年の刑」だと思う。 ”ゆとり教育”を受けた若者が、もう、社会で仕事している。 いかに国策のない国なのだろう。 教育は国をも動かす、大切な国策だと思う。 私の母親は、戦前、軍事教育を受け、”鬼畜米英”と言われて育った。 母親の兄貴は日本国のため、戦死した。これを誇りに思う教育だった。 母親は今でも、アメリカの飛行機は怖いと言う。 「グラマン戦闘機」は人を見つけたら機関銃を発射していたらしい。 「B29」が編隊を組んで、パラパラパラ、と焼夷弾を放つと、一面炎の海になったそうである。 まさに敵国としてのアメリカ、という教育である。 一転、アメリカと同盟国として日本は経済復興し、世界に負けない教育大国になった。 と聞いている。 学歴社会、マニュアル社会、上意下達、年功序列・・・ 私達が受けてきた”本来的教育”である。 話は変わるが、15年も前になるが、オーストラリアへ旅行に行った。 シドニーのボンダイビーチに行き、10月、さすがに泳いでいる人はなく、パラソルなどが、今後夏を迎えようとしているビーチにちらほら準備中だった。 たまたま、友人の旅行会社でチケットを手配していただいたので、シドニーだけはガイドを付けてくれた。いつもは一人で散策するが、珍しくガイド付きのバスである。 その時、オーストラリアの海岸で犬の散歩はしない。 という話を聞いた。 「えっ、なんで?」 と、問う私に、ガイドは、「犬の匂いで鮫が来るから」という答えであった。 なるほど。 国が違えば常識もこんなに違うものなのか、と思った。 しかしながら、”犬を散歩してはいけません”という看板はどこにも無かった。 サメが海岸に来て、人が襲われる、ということは、人の命に係わる重要な出来事であり それを守らないこと、イコール、自身もサメに襲われる可能性がある、ということに繋がる。 彼らは、そういった教育を誰からか受けて守っているのである。 私は、こういう考え方が教育の原点である。ように思えてならない。 人命に係わるような重要な出来事を重要だと思うことである。 このような事は教科書には載ってないだろう。 つまり、教育は受けているが、学校では習ってない、”マナー”の領域である。 私は、かねがね、”人々のマナーが高質になれば、法律は陳腐化する”と思っている。 皆々が、マナー、常識、人としての研鑽を積み重ねれば、きまり事など必要ないのである。 罰則を決めても、誰も100年間破らなければ、罰則は陳腐化するのである。 私は、日本人全員が”マナー”に長けた民族であることを信じたい。 2年後、教科書が変化する。 21世紀の初頭に、たまたま、日本で生まれ育った子供が受ける教育。 21世紀の日本の姿を踏まえた教育であって欲しい。”マナー”を育てる教育であって欲しい。 建築デザイナー 藤村 正継
by cn-japan
| 2011-03-31 11:49
|
ファン申請 |
||